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2013年11月16日 (土)

JR3線を乗り継ぎ油津へ

今日は21年前,父の軍刀返還に日南市日米友好交流協会長として渡米に同行して頂いた日南市のTさんの墓前に焼香するため午前9時前 川内駅までXに送ってもらう。駅の西側のプランターでは,元の職場の後輩達が休みを利用して花苗の植え付け作業のボランティア活動に頑張っておられたので敬意を示し駅舎に。駅舎では,新幹線の上り便を利用して息子の所に出かける知り合いや,同じ下り便には休みを利用して鹿児島に出かける知り合いと顔を合わす。

宮崎県日南市までJRの鹿児島本線,日豊本線,日南線の3線を利用し片道3時間半の汽車の旅。日豊線なんて乗るのは本当に久しぶりであった。Tさん宅では奥様が玄関先で首を長くして待っておられ,故人の遺影の前で焼香をさせて頂き,失礼の段を奥様に深くお詫びする。

往復の日南線の沿線では,ハウス栽培用のビニールハウスが各所に広がり特産の切干大根を干す棚が設置されている光景を見かけた。また,油津からの帰路に乗車した「海幸山幸」号では,列車内でも色んな催しがあり,停車駅ではカメラマン達の姿を多く見かけた。

予定の午後8時半には自宅に帰り着き,家族に「奥様に久しぶりに会えて,仏壇に手を合わす中,亡き親父の軍刀返還“友情の刀”という奇遇なhご縁で知り合った,日南市の亡き大兄Tさんとの友情・感謝の気持ちをどうにか伝えられた。日露講和条約の全権大使:小村寿太郎の縁での日南市と米国NH州ポーツマス市との姉妹都市交流事業も,ポーツマス市の財政的都合(米国の市長職はボランティア職で報酬は薄謝。市長も渡米時の女性市長も退任されており)で,今は人的交流がなされていない。主人と川内にも行ってみようと何回も話だけはしてたんですけど実現しないままで。借金は残しませんでしたが,日南市への行政ボランティアで貯金も残してくれませんでした‥等のお話しを聞かされた。跡取り息子さんは台湾出張中であったが,海を見渡す豪邸で交わしてきた」と報告する。

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