母方の本家に年始挨拶に
今朝は,昨日の朝と違い-まで気温も下がらず日中は12度まで気温は上がり陽光の差し込む上天気に。
昭和30年代中頃まで(小学生時代までは)は,1日の元旦の日は,登校日であり,「年の初めの♫」を合唱し,学校から帰宅後,お昼前に風呂敷に包んだ鏡餅を持って父方の下台の本家に挨拶に出かけ,お年玉を頂くと同時にお膳で出された正月料理を頂き,続いて2日目には,風口の母方の本家に出かけ同様の接待を受けるのが,正月の恒例行事となっていた。下台では1件しかもらえないお年玉が,母の姉弟が多い風口では,叔母さん達から何件も頂くことができ,子供心にも風口が分限者殿だと思って喜んで出かけたものだった。
※最初の頃は,国会議事堂が描かれた拾円札,板垣退助が描かれた百円札,岩倉具視が描かれた五百円札,最後の頃になると聖徳太子が描かれていた千円札にとお年玉袋に入っていたお札の絵柄も変わっていきました。
本家を訪ねる正月行事も叔父叔母が亡くなり,従兄が生存時までは続いたが,従兄が亡くなり終わりとなり従兄の嫁さんの時代となった現在では,正月3日目に母方実家へ年始挨拶に加え仏さん参りだけを続けて出かけているのは,近所に住む私だけとなり,今日は午前11時過ぎにパタパタに跨り出かける。以前は表の間に叔父叔母・従兄達が集い,賑やかに一族の健康を確認しあった場であったが,今は私だけとなり,今日も既に聞き飽きた本家の嫁さんの財産処理に関する愚痴を聞かされる役に。
風口からの帰路,上川内のニシムタまで足を伸ばし,ミカンを買い求めて帰宅し,箱根駅伝の復路をTV観戦して午後からは過ごす。
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