開戦前の佐世保の住所照会を受け?
午前中は,梅雨前線も北上し,日もさしてくれたのでオクラの根元への土寄せ作業を行うと同時にカボチャの収穫を行う。加えてお墓の掃除に出かけ,山蚊に献血を。
午後から2ndの訓練のため川辺まで出かける。
帰宅して,4月10日に種を播いたクウシンサイ(エンツァイ)の収穫を行い,Xに宮内の同級生宅への宅配を託す。
なお,畑に出ていると,鹿児島市の88歳になる従姉から電話が。電話の内容は,「米寿の祝いに娘たちが福岡から長崎と3日間かけてレンターカーで案内してくれるというので,太平洋戦争の始まる前の昭和14年に,風口の祖母と二人して貴方のお母さんが住んでいた佐世保を訪ね,亡くなった貴方の二人の姉と楽しく過ごした想い出の地でもあるので,自分の足で再度訪ねて見たいが,当時の佐世保の住所が判らないかしら?」との照会。
なにせ昭和14年(1939)といえば,今から73年も前の事で,私の産まれる前で,痴ほうが大分進んだ98歳の母に当時の住所を尋ねても?であり
「従姉さん,誠に申し訳ない。回答のしようが無い。よか孝行娘をもって幸せなことですがね。楽しい旅をしてね!」と電話で応答し近況を交換し合う。※昭和14年当時は,父が大尉で駆逐艦「綾波」の水雷長
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