白寿の母を送って
11月7日(水)の朝方,「ナタマメ」を掲載し180回目のHP更新を行い,お昼前,病院の母を見舞い看護師さんから身の回り用品の〇〇が不足していると聞かされ自宅とを往復。
午後からは,Xと2ndが私に代わって面会に行ってくれる中,母宅の生け垣の選定作業を行い,午後5時40分過ぎ,今日3回目の訪問を。そんな中,母の容体が急変し,看護師・Drから「ご家族に来てもらって」との説明を受け,Xを慌てて呼び出す中,午後6時に心臓が停止し享年99歳=「白寿」でもって大正3年生まれの母は帰らぬ人に。
よって7日~8日は,ブログの更新を断念せざるを得ない状態に。
7日の夜から8日の朝までは,遺体を搬入した(搬入コースには,遺体を病院まで迎えに来てもらった友人が経営する葬儀社の運転手の方に相談し,母の生家から住んでいた家を巡るように相談)中郷町の斎場では,Xと二人して母の遺体に付き添い夫婦二人して仮通夜を行いながら,ご住職に電話を入れ本通夜と告別式の日程を協議し従兄たちに携帯から訃報の電話連絡を入れる。
翌8日の朝に,国分寺自治会長が会員には,母の訃報を自治会放送で案内して頂く。夕刻午後6時から「お通夜式」を開催し,従兄たちや自治会員並びに私の元の職場の職友たちの弔問を受け,従兄二人に協力してもらい朝までローソクの明かりと線香を欠かさないようにする。
今日9日(金)正午から告別式を行い,親族・友人に火葬場での遺骨を頂くことができたのは午後3時20分。小さな骨壺に入った母を自宅には午後5時に連れ帰る事が出来た。
皆さんから供花に頂き棺の中に入れ,葬儀参列者にも持って帰って頂いたが,残った花があったので,花束にして自宅に届けて頂き,これを郷中のお墓詣りに良く出かける世帯にパタパタに乗って届けて回り「ダレちょいやっとこい有り難う」と喜んで頂く。
葬斎場でいっぱいの花に囲まれた母の遺影
7年間も別れていた自宅に帰った母の遺骨
7日夕刻,入院先の済生会川内病室での23日間入院。最後の母の死に立ち会った後,今日の告別式までの3日間。家族として喪主として母との最期のわかれ/旅立ち・見送り伴う行事に身体も少々ダウン気味となり,夜,従兄の病院を訪ね弔問へのお礼を述べながら,疲労回復用にとアリナミン入りの注射を打ってもらったおかげで,今少々疲れは癒えたが,明日からは残務処理事務がと思うとグッタリに。
ブログ記事の入力も,二日間の睡魔が押し寄せてきて瞼が上下引っ付き始めたので今夜はこの程度に。
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