『小暑』を迎え夕景色は梅雨明け?
新暦では「七夕」。二十四節気では「小暑」で暑さがだんだんと厳しくなり梅雨末期の“はげ水”が心配される候になり,蒸し暑さの厳しい日曜日に。
「FMさつませんだい」からは,幼稚園や学校では七夕飾りに将来の夢を短冊に記して笹に結び付けて願を掛けるが,鹿児島では新暦ではなく,旧暦でもなく一月遅れの8月7日に催す行事なのに若いパソナリティーの女性達は,都会風に「今日は七夕」と何回も報じているのを耳にしながら南日本新聞に先週7月2日(火)から今朝まで5回シリーズで掲載された「川内原発再稼働の行方」をPDF版に編集し直す。普通車にワックスを掛け吹き上げるがビッショリ汗をかく。
鹿児島市内の大学の穴掘り後輩から,昭和40年代,薩摩国府や国分寺の発掘調査を共にしたM先生が亡くなったとの訃報連絡が携帯に入る。同先生の高校赴任地の中種子島での縄文時代後期遺跡の発掘調査には,鹿児島の後輩二人を連れて応援に出かけ,開拓地の空き家住宅に寝泊まりし,正月を挟んで発掘調査をしたのは,昭和43年の正月であったから今から45年も前の事になり,度の強い近眼の眼鏡をかけておられた亡きM先生が偲ばれる。
今朝のリサイクルに出かけたXが,11班のAさんの奥さんから相談を受けて来た花の写真のDPに中郷のフクモトに出かけフクモトの帰路早速届ける。お昼過ぎ散髪に出かける。
午後1時から4時まで奉職先に出かけるが,往路の途中の太平橋から河川敷を眺めると開戸橋までの河川敷には,早慶レガッタ等を観戦する市民の姿を多く見る。(早慶戦は早稲田大学が優勝)
同僚のYさんは午前中から出勤されておられ,「FMさつませんだい」を二人して聴きながら火曜日からの資料に関し,忌憚のない意見の交換を図る。
奉職先からの帰路,形屋前では高校の1級先輩でラグビー部のM兄と,鹿銀前交差点近くでは,元火消し同僚で水引地区コミで草道の町興し活動で炭焼きやタマネギ作りに頑張っておられるHさんに会い声を掛け,掛けられるが,これもスピードが出ないパタパタ出勤での良さ。
夕食を前に,昨日糠床漬けたキュウリを取り出し,糠床の元を足し新たにキュウリ・オクラ・ニンジンを漬け込む。西の空を眺めると梅雨明けを思わせるようなきれいな夕景色が広がっていた。(関東甲信では,西日本に先駆け平年よりも15日も早く梅雨明けしたとか) 一昨日東京の従弟に送った野菜が届いたようで細君からお礼の電話が入る。
HPのINDEX面の写真の更新準備を済ませる。午後11時過ぎ,夕涼みを兼ね屋外に出て夜空を眺めると星がきれいに見え,南九州の梅雨明け宣言も近いと思われる中,遠くから雨がえるの鳴き声が聞こえてきた晩であった。
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