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2015年1月13日 (火)

ブロッコリーの緑の花蕾を収穫

今朝は午前5時から新聞記事のコピー編集作業に着手し,昨日,総務・財務大臣折衝でまとまった新年度の「地方財政計画」等6編の関心記事をピックアップする。6編目の最後の記事は,「ひろば」欄に投稿されていた大学の1級先輩のFさんの「母に言えなかったあの一言」で,国文科卒らしい練れた読ます投稿記事であった。

午前9時前,携帯電話が鳴るので出て見たら消防出初式が先週土曜日に済み,神田町に挨拶に出かけたついでに奉職先に顔を出したが,自分が不在だったと電話での年始挨拶を告げる青年団時代からの旧友であるY消防団長殿からであった。

春らしいお天気模様になったので,自転車を庭に出して錆たカ所をサウンドペーパーで削り油を指し,また切り替えカ所にはグリスを注入し点検を行った後,午前10時過ぎ,国道脇の馴染みの散髪屋までチャリンコに乗って出かけ,頭を刈ってもらう。

午後からは,先ずお墓の掃除に出かけた後,畑に出かけ,昨年10月中旬に苗を植えつけたブロッコリーの緑の花蕾を収穫したりカリフラワーの白の花蕾を収穫する。

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なお,10月下旬に育苗苗を植えつけたブロッコリーの方はまだ花蕾が十分膨らんでおらず,今しばらく生長を見守る必要が。

夕食までの時間は,明日からの定期ヒアリングに向けパソコンに向かい,また保管しておいた昭和40年代の郷土史研究資料と観光チラシを引っ張り出し,昔は「川内十五夜大綱引」の起源は,「島津義弘公の征韓の役後,藩士の士気を鼓舞するため」だったのに,大綱引を支援する会議所の韓国昌寧郡との交流を機会に,普通なら歴史を古く誇張するのが常識なのに,何で8年から3年も新しい起源の「関ヶ原の戦」となったのかと,ボロボロとなった印刷物を再確認し,「十五夜」が姿を消し「喧嘩」が挿入されてきている川内大綱引の起源に関する歴史認識問題では,明日からの定期ヒアリングで意見の交換を図ってみたい。※私的見解であるが,征韓の役の最初の出陣/文禄の役1,592年or2回目の慶長の役1,597年からではなく,1,600年の関ヶ原から400年+(国際摩擦の障壁除去?)と単純計算式を当てはめようとの算術が理解できない中で,国の指定になれば赤恥をかくのは目に見えている。

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