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2014年5月21日 (水)

自転車の錆を落として出勤

今日は,二十四節気の「小満」=秋に種を播いた麦などの穂がつく頃を指し,ほっと一安心(少し満足)すると言う意味があり, 田畑を耕して生活の糧を稼いでいた農耕時代には,農作物の収穫の有無は人の生死にかかわる問題で,麦などに穂がつくと「今のところは順調だ、よかった」と満足したことから小満と言う名前が付いたと言う日です。

上天気であったので,自転車に乗って出勤しようとしたら庭先に停めておいた自転車は,雨に当たってあちこちから我が頭同様に錆が出ていたので,ぼろ布に油を着け錆落としを行ってから,自転車に跨り整骨院(三番乗り)⇒開戸橋⇒神田町の奉職先へと,何時もの太平橋を渡るコースとは違うルートで出勤し,午前9時50分から午後4時40分まで,一人頑張って今日は11冊の対象書類の綴りを,何時もと同様に「言って聞かせても判らん連中ばっかいや!」と,一人カリカリしながら検分する。今日の昼食は,何時もの500円弁当を買い求めに行かなくてよく,Xがエンドウご飯を詰めた弁当を持たしてくれたので,持参した二段弁当を頂く。

午後5時前に気持ちの良い風を浴びながら太平橋経由で帰宅し,畑に出てサトイモ畝から芽を出してきているスギナを根元から掘り起こす作業に励み午後7時に畑から上がる。
なお,農作業中に歴史資料館の学芸員さんから電話が入り,3月5日にお会いした父の軍刀返還経過調査の聞き取りを受けた鹿児島市の大学の先生からの報告を,間に入り調査依頼主の米国の大学の先生に報告されたに東京の大学の先生から再確認依頼があったとして,父の軍刀を返還されたプロッサー大佐が昭和20年10月に撮影された「写真の少女」に関する,現物写真の所在に関する再確認照会があったとの内容で,
「空襲で焼け野原になった鹿児島市街地のがれきの先に桜島がはっきりと写り,米軍将校と消息を頼まれた少女が写った写真は手元にある」ことを報告し,写真の写しの提供は可能である旨を告げる。

ポストには,早くも7月に実施される「肺がん検診」の案内が届いており,検診会場に指定されている自治会員の浄財によって建てられた語らい集いの館の名称が,当国分寺自治会は自分の主張を会員が理解してくれ「国分寺自治会館」であるが,多くは〇〇公民館・〇〇自治公民館となっており,社会教育法の適用を受けない施設ながら「公民館類似施設」に分類されそうな名称を依然としてお使いになってろられる事を感じた。これが名称を普及させるべきと主張した現役時代には,県庁前にある大きな建物である自治会館と間違えられるとの社会教育法を知らない者の反対意見があり,当時同名称の普及定着を図る事ができなかったのが今でも残念である。

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