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2016年1月 7日 (木)

正月どんも今日まで

正月が明けて7日目の,今朝の朝刊拾い読み作業では,5編の関心記事をコピー編集したが,軽減税率に関し財務省の試算では,「高所得者ほど恩恵大」との見出しで,所得が高いほど消費額そのももが大きいとい最初から分かりきっていた事が。また正月三が日の神社への参拝者が「天候に恵まれ人どっと」の見出しで新田神社拝殿前で混み合うカラー写真入りで報じられていた。因みに新田神社への参拝者は前年より1万人多い14万人であったと記事には。

正月どんも今日まで。“喰うては寝て”過ごし,なまった体を元に戻すべく,寒い中ではあったが,お茶を持参し墓殿上の他人様の耕作放棄地の畝起こしに,午前9時半に出かけ,午後1時半まで頑張って,畝ひもを張って鍬を使い60㌢幅の畝を起こす。

同時に,墓の先にある戦時中,郷中の皆さんが空襲警報が発令された際に避難に使っておられた,今では入り口はブロックでふさがれている防空壕入り口付近の雑木を,誰一人関心を示さず見学者はないものの,郷中内の太平洋戦争遺産として,防空壕の存在を知るもの責務として,大切に保存しておく必要があるのではとして,持参した鋸で切断・整理する作業に励む。
(戦前,現在の川内高校=川内中学には,陸軍の北海道の部隊が駐屯していたり,上川内駅近くの現中越パッケージは,人絹会社があって落下傘を創っており,これら正確な情報を得ていた沖縄から出撃の米空軍の空襲目標になっており,戦闘機の侵入コース延長上に我が郷中は存在)

夜のローカルTVニーュスでは,「七草粥」の催しが報じられており,派手になったなーと痛感しながら拝見。我が昭和20年代後半の頃は,朝食時間帯にご近所を盆に飯茶碗を載せてもらいに回り,かまぼこが刻んで入った「まぜご飯」をよそおってもらっただけだったのにと,60年の時間の経過と共に風習の発展を改めて回顧する。

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